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開会挨拶
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2019年5月1日に新天皇が即位され、30年余り続いた「平成」が終わりました。新しく始まった「令和」の時代。そして、2020年はいよいよ東京オリンピックが開催されます。我が国の経済は緩やかな成長が見込まれているものの、消費増税による景気の冷え込みや、オリンピック後の経済の低迷、米中の貿易問題の影響など、数々の不安材料が山積しています。
また、少子高齢化の進行と労働者不足を補うITの発展やAIの導入によって、仕事内容が変化し、様々な雇用問題が起こると予想されます。次々と新しい技術が開発される中で、従来の技術が陳腐化する速度も早まっています。過去の成功体験にすがってばかりでは、あっという間に後続企業に追い抜かれる時代です。
今、我々に求められているものは、古くからの企業体制と保守的なビジネスモデルを打ち破り、より新しいことに挑戦し、経営者が「自ら未来を変える」決意を持つことだと考えております。
そこで令和最初の「新春経営者セミナー」は、志を貫き、自ら未来に向けて挑戦し続けている方々を講師にお招きしています。素晴らしい一年のスタートを切るために、ぜひご参加ください。皆様にお会いできることを心より楽しみにしています。
日創研グループ 代表 田舞 徳太郎
(株)日本創造教育研究所 代表取締役社長 松原 誠
1945年生まれ、山口県出身
広島市信用組合の特徴は、投資信託などの金融商品は扱わず、貸出業務に特化したビジネスモデルにある。このモデルにより、説明やその準備にかける時間をお客様に向けることができる。「地元で集めたお金は地元で活かす」が広島市信用組合のモットーであり、「職員が徹底して顧客を訪問することで、ミドルリスク層の資金需要にスピーディーに対応できる」ことが強みである。
近年、多くの金融機関が足で稼ぐ仕事を非効率だと切り捨てる中、広島市信用組合では非効率だと思う現場主義こそがすべてであると考える。金融機関の本来業務である預金と融資に集中した経営で預金、貸出金はともに毎期着実に増加している。そして、日銀のマイナス金利政策で多くの金融機関が収益の確保に苦戦する中、2019年3月期のコア業務純益は過去最高を更新、増益は17年連続である。
2018年1月には、職員が気持ちよく働くことができる、より良い職場環境づくりへの取り組みが認められ、「広島県働き方改革実践企業」として認定を受ける。また、2018年11月には、19年ぶりの新規支店となる広支店(呉市)をオープン。独自の技術力を持つ企業が多く、人口も増加している広地区を有望な開拓エリアと捉え、広地区の活性化への貢献を目指し、出店を決めた。
「融資はロマンじゃ!」と山本氏は語る。融資した小さな企業が年月を経て上場し、300人、400人の規模になっていく。これこそが地元の中小金融機関のあるべき姿と捉え、地道に汗水を流す。
1947年北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後、三井物産株式会社に入社。米国三井物産ワシントン事務所所長などを歴任し、2006年に三井物産株式会社常務執行役員に就任。また、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授などを経て、現在、文部科学省 グローバル人材育成推進事業プログラム委員会委員、同省 大学の国際化のためのネットワーク形成推進事業プログラム委員会委員、経済産業省 資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会基本政策分科会委員、国土交通省 スーパー・メガリージョン構想検討会委員、厚生労働省 2023年技能五輪国際大会招致委員会委員、国土交通省 社会資本整備審議会道路分科会国土幹線道路部会中京圏小委員会委員長、ジェロントロジー研究協議会座長をはじめとする要職に就き活動中。1994年石橋湛山賞受賞。2010年4月早稲田大学名誉博士学位取得。
近著に『ジェロントロジー宣言「知の再武装」で100歳人生を生き抜く』(NHK出版新書)、『ひとはなぜ戦争をするのか脳力のレッスンⅤ』(岩波書店)がある。その他『ユニオンジャックの矢 大英帝国のネットワーク戦略』(NHK出版)、『シルバー・デモクラシー 戦後世代の覚悟と責任』(岩波新書)、その他の主な著書は、『中東・エネルギー・地政学 全体知への体験的接近』(東洋経済新報社)、『新・観光立国論-モノづくり国家を超えて』(NHK出版)など、多数の著作を持つ。
経営に携わる者にとって、「ネットワーク型世界観」を鍛えることが必要不可欠となっている。この世界観を持たずして、刻々と変化する経営環境下、勝ち抜くことは不可能となっている。
中国は香港・シンガポール・台湾などの華僑・華人圏の国々とネットワークで結びつき、「大中華圏」として発展している。冷戦後の中国は、華僑・華人圏の資本と技術を成長のエネルギー源として吸収し、巧みに利用することでコンスタントに成長を遂げてきた。そして、イギリス。衰退しながらも、「ユニオンジャックの矢」と呼ばれるネットワークの力が存在感を見せている。ロンドンを起点に、ドバイ、ベンガルール、シンガポール、シドニーと一直線に繋がっているこの国々は、かつて英国の植民地であった。現代では世界有数の金融、ITの拠点であり、人材、資源の宝庫である。英国はこのネットワークを指揮する経営企画本部の役割を担い、膨大なマネー・情報を動かしている。このことが世界を牽引し続ける原動力となって国家的な「大きな構想力」を支え、戦略を形成している。
今後の経営には、明瞭な根拠に基づいた「構想力」が求められる。これまでの考え方だけでは捉えきれない、異次元の変動期に入った今、「ネットワーク型世界観」で未来を展望する力が問われている。寺島氏が語る2020年の展望から、変わりゆくこの時代の本質と今後の展望を考えたい。
ワタミグループ創業者。「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」という理念のもと外食・介護・宅食・農業・環境等の事業を展開し、「独自の6次産業モデル」を構築。
2013年より参議院議員として6年国政に携わり、外交防衛委員長も経験する。
2019年10月1日にワタミ代表取締役会長 兼 グループCEOとして経営復帰。その他、「学校法人郁文館夢学園」理事長、「公益財団法人School Aid Japan」「公益財団法人みんなの夢をかなえる会」「公益財団法人Save Earth Foundation」代表理事としても活動中。
小学校5年生の時、父親が経営していた会社を清算。その姿を目にした渡邉氏は「自分は将来、社長になる」と決意する。大学卒業後、財務や経理を習得するため、経理会社に半年間勤務。その後1年間運送会社で働いて貯めた300万円を資本金にワタミを創業した。1984年、渡邉氏24歳の時であった。16年後の2000年には東証一部に上場。
2013年、これまで培ってきた「経営力」を国政で発揮することを目指し、参院出馬を決意。有権者からの支持を集め、見事当選。その後6年にわたり、日本経済再生に向けた取り組みに、全精力を注いだ。
2019年2月13日、次期参議院選の不出馬を表明。政界引退と共に、その後は「生涯経営者」となることを宣言。「現在288校まで広がった発展途上国の学校を1000校まで増やす」「森を1000ヘクタールまで増やす」「1000人の経営者を育てる」。これらトリプル1000の目標を掲げ、今後は発展途上国支援や経営者育成を続けるという。
小学校5年生で描いた経営者の道が、6年間の議員生活を経て、さらに広く太いものとなって続いていく。渡邉氏のその豊富な経験談から、私たちが自ら未来を変えるヒントを得られることだろう。
HILLTOP株式会社の前身である「山本精工株式会社」は、大手自動車メーカーの下請けとして部品を製造する小さな町の鉄工所であった。
家業を手伝うことになった山本氏は、来る日も来る日も同じことを繰り返す単純作業に閉塞感を抱くようになる。「もっと人間らしい仕事がしたい」と父親を説き伏せ、一切の下請け業務をやめることを決断。製造現場での仕事の非効率性を解消するため、ルーティン作業をプログラム化し、機械に加工させるシステムを考案。そして、プログラムを幾度となく修正し、改善を繰り返した結果、金属の三次元加工をプログラムで自動制御できる「HILLTOP SÝSTEM(ヒルトップシステム)」と呼ばれる独自の生産管理システムを誕生させた。そして、多品種単品加工の生産と、社員の出勤を昼間に限定する勤務形態を実現した。
ITを駆使して、オフィスで若い社員が知的労働に生き生きと取り組んでいる一方で、工場では人による作業を必要最低限に抑え、機械が24時間無人で稼働している。現在は、部品加工だけでなく「サポーティングインダストリー(戦略的基盤技術高度化支援事業)」を目指し、「脱部品加工、脱製造業、知識サービス業への転進」を推進している。2013年には、試作品完成までの要求も、図面設計から組立・出荷まで装置一式の要求も容易に受注ができる「製造サービス業」としてアメリカへ進出し、グローバル企業として進化を続けている。
大正11年(1922年)、東京都飛鳥山(現・北区西ヶ原)で生まれる。
祖父は日本の資本主義の礎を築いた渋沢栄一。父は栄一の三男で実業家の渋沢正雄。
女子学習院を卒業後、20歳で岩倉具視の曽孫にあたる員重(かずしげ)氏と結婚。
渋沢栄一の精神を受け継ぎ、少女時代の質素倹約の暮らし方を結婚後も実践。
洋裁を習い、夫の私服や子供達や自分の着る物をほとんど手作りしたり、物を大事に長く使う工夫など、生き方や生活全般にいつも知恵が溢れている。
独自の健康法を長年実践、病気知らずのその若々しい美しさも注目されている。
長年の心の探究から、どんな状況でも心豊かに、幸せに生きられる考え方を身につけている。
70代で水泳、80代で社交ダンス、90代でヨガをはじめるなど、現在も前向きに人生を謳歌、その暮らし方や思考法が、著作や講演会をとおして多くの人を励まし啓発している。著書に『なにがあっても、ありがとう』(あさ出版) 『97歳、幸せな超ポジティブ生活』(三笠書房)などがある。
渋沢栄一は1840(天保11)年2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれた。
家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学ぶ。
「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一や従兄たちは、高崎城乗っ取りの計画を立てましたが中止し、京都へ向かった。
郷里を離れた栄一は一橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていく。
27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができた。
明治維新となり欧州から帰国した栄一は、「商法会所」を静岡に設立。その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わっていった。
1873年に大蔵省を辞した後は、一民間経済人として活動する。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)。
第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれている。
約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら1931年11月11日、91歳の生涯を閉じた。
幕末から昭和まで、91年の生涯を通して思いやりと奉仕の精神を貫いた。終始一貫目指していたのは、「立身出世」や財を成すことではなく、「共に智恵を出し合い、企業がお金を儲けたら社会に還元し、みんなで豊かさを分かち合いたい」ということであった。
令和6年より新紙幣一万円札の顔となる。また、令和3年には渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送される予定である。
1941年東京生まれ。信濃デッサン館・無言館館主、作家。
印刷工、酒場経営などを経て、64年、東京都世田谷区に小劇場運動の草分けとなる「キッド・アイラック・アート・ホール」を設立。79年、長野県上田市に夭折画家のデッサンを展示する「信濃デッサン館」を、97年、同館隣接地に戦没画学生慰霊美術館「無言館」を設立。
『父への手紙』『「明大前」物語』(筑摩書房)、『信濃デッサン館日記』『無言館の坂道』『雁と雁の子』(平凡社)、『無言館ノオト』『石榴(ざくろ)と銃』『鬼火の里』(集英社)、『「無言館」への旅』『高間筆子幻景』(白水社)、近刊に初めての絵本『約束』『いのち』(アリス館)、『父水上勉』『「自傳」をあるく』(白水社)など著書多数。
第46回産経児童出版文化賞、第14回地方出版文化功労賞、第7回信毎賞、第13回NHK地域放送文化賞を受賞。2005年、「無言館」の活動で第53回菊池寛賞受賞。平和活動にあたえられる第1回澄和フューチャリスト賞を受賞。
戦没画学生慰霊美術館「無言館」は、戦時中の画学生が遺した絵を収集し、1997年に窪島氏が設立した。これらの絵は他の遺品と異なり、画学生が命を懸けて自己表現した作品である。それを戦争犠牲者の名のもとに、十把一絡げ(じっぱひとからげ)にして一か所に飾ってしまったことで、画家としての彼らに“二度目の死”を強いているのではないか、と窪島氏は自己嫌悪を感じていた。 2012年、東日本大震災から1年後に東北で開催した“無言館展”で、窪島氏にある出会いが訪れた。来場者の中に、娘と両親を亡くし、住まいも、経営していた工場も流され、多くの従業員も失ったTさんという方がいた。Tさんは「今日、この人たちの絵を見てよかった。生きる気になりました。生きようと思いました」とつぶやいた。窪島氏は、画学生たちと同じだと感じた。若者たちは、いわば国の命令で津波に向かって歩かされた人。高台に逃げることは許されなかった。きっと絵がTさんに語りかけたのだろう。「今、あなたはそこに生きているじゃないですか。生きていきましょうよ 」と。その想いに行きつき、画学生たちが持っている、このもう一つのメッセージを伝えるため、無言館をやり続けるべきだと確信した。
そして窪島氏はあるプロジェクトをスタートさせた。その名も「2045年プロジェクト」。2045年は戦後100年。その時、「この国では100年間戦争がなかった。戦没者の絵のおかげで、100年誰も戦争を起こさずに来られた」と言えるよう、全ての作品の修復を終え、大展覧会を開催するという。自身は生きていないであろう先の話だが、孫のため、さらにはもっと未来のために、窪島氏は道を創り続けている。
1985年、北海道生まれ。大学ではマーケティングと会計を専攻。
大学卒業後、ソフトバンクに入社し、組織人事や営業企画を担当。
2012年、妻の実家が営む「ゑびや」に入社し、店長、専務を経て、現在、有限会社ゑびやと株式会社EBILABの代表取締役を務める。
地域の課題解決をテーマに掲げる三重大学地域イノベーション学研究科の博士課程を退学するも、引続き論文を執筆中。
あるときテレビで見た、ソフトバンクの孫正義氏が言い放った「インターネットで未来を変える」という言葉に刺激を受け、同社への就職を決意。大学時代に没頭した商売の経験が評価され、見事に入社を果たす。就職後も事業を拡大させるなど活躍を見せた。4年目で独立を考え始めた頃、妻の実家の老舗食堂『ゑびや』を訪問。昔ながらの店の様子に生まれ変わるポテンシャルを感じ、入社。
まずは従業員と話をしてサービスの底上げを図った。また、データを収集し徹底的に分析、改善した。独自開発したAIシステムによる翌日の来客数、注文メニューの的中率は90%を超え、従業員数はそのままに5倍の売上を達成。生産性を高め、従業員の給与アップや休日増加など、労働環境の改善に成功する。
「伊勢という地方から日本のサービス業の在り方を変えるのが、僕の新しい挑戦」と語る小田島氏。その一歩として、2018年6月、ゑびやの分析ツールを外部に提供する事業をスタートさせ、すでに多くの問い合わせが殺到している。
1976年 京都府宇治市生まれ。
2004年 住友フォークリフトの営業を経て、有明産業に入社
2008年 取締役部長
2010年 専務取締役就任
2014年 代表取締役社長就任
2018年 第1回TTアワード コア・コンピタンス部門受賞
有明産業は、1963年に清酒用一升瓶の木箱の製造販売から始まった。酒造メーカーの業務請負事業を経て、1984年より洋酒樽製造販売事業に参入。
昨今ジャパニーズウイスキーが世界から脚光を浴びているが、洋酒作りに欠かせないのが「洋樽」である。かつて国内には洋樽専業メーカーが4社存在したが、経営者の高齢化や後継者不在で次々と姿を消し、唯一生き残ったのが有明産業である。一時は売上が20億円から2億円へと90%ダウンし、倒産の危機に瀕した。立て直しへもがき苦しむ中、事業を継いだ創業者の孫である小田原氏が選択したのは、洋樽を軸とした「原点回帰」。そこから生まれてきた使命感を基に、見事に業績をV字回復させた。
小田原氏はさらに市場を拡大させるため、国産木材を使用した付加価値の高い「洋樽」づくりに取り組む。その結果、国外の顧客の獲得に成功。若手職人育成にも力を注ぎ、未来を見据えた革新に挑み続けている。
幼少期より大工である父の姿を見て育ち、柱一本から心を込めて作る姿勢に影響を受ける。高校卒業後に大手ハウスメーカーに大工見習いとして就職。昔ながらの大工技術だけでなく、近代的な住宅の建て方も学ぶ。『大工が責任を持って、長く住む家や街を守ること』を実現するために、谷口工務店を設立。大工を社員で雇用し、高い技術を継続的に提供する体制づくりに尽力。滋賀県大津市の古民家を大工の力で再生し、多くの人に触れてもらうためにホテルをつくる。建築に関わる学生の成長のために『木の家設計グランプリ』を発起人として主催。落ち着き長く住める木の家を提供しながら、家や街を豊かにする活動をし続けている。
2002年 谷口氏が「木の家専門店」をスタートさせて以来、手がけた家は新築420棟、改築350棟。この実績の成功要因は、社員大工の雇用に踏み切ったことだった。現在40名の大工を社員として雇用しているが、そのほとんどが大卒者である。どんなに技術が進化しても、家を建てるのも、住むのも「人」。人の思いの通った家づくりには、直接施主様から希望を伺い、説明や打ち合わせができる大工、棟梁が必要と考える。「人」を介して一軒ずつ丁寧に家を作っていくことが、「みんなが喜ぶ家づくり」につながっている。
現在、シャッター商店街の空き家を自社社員が町家ホテルとして再生させたホテル事業も稼働している。町家ホテルが自社大工の生きた展示場となり、更に認知度が深まる機会となることに期待を寄せている。
20年ほど前のサンヨネは、社内の人間関係が悪く、生産者に対しても大幅な値引き交渉が常態化していた。三浦氏は掲げた理想を追い求めるべく、まず社風改革に挑戦。頼れる農家や加工業者を求めて各地を訪ね歩き、強固なネットワークを築いていった。
「良識ある食品をできる限りお値打ちに」提供するために、オリジナルブランド商品をいくつも開発。目指すは、生産者との協働開発や直接流通によって生産者にも収益を上げてもらい、お客様にも良品を適正な価格で提供できるお店であること。正にお客様と生産者とサンヨネの三者が、ともに幸せになるwin-winの関係である。スタッフにも喜ばれる会社であるために、粗利益50%のスタッフ還元を実施している。
“BIG”ではなく、“GOOD”と呼ばれる事業経営を目指し、日夜奮闘を続けている。
開会挨拶
講演 Ⅰ
「地域金融機関のあるべき姿と現場主義経営」
山本 明弘氏
広島市信用組合 理事長
休憩
講演 Ⅱ
「2020年の展望 -世界の構造変化と日本の今」
寺島 実郎氏
一般財団法人日本総合研究所 会長
多摩大学 学長
休憩
講演 Ⅲ
「警鐘 ~未来への挑戦~」
ワタミ株式会社 代表取締役会長 兼 グループCEO
第7回「ありがとう卓越経営大賞」
贈賞式
新春記念パーティー
分科会(50音順)
小田島 春樹氏
有限会社ゑびや 代表取締役
小田原 伸行氏
有明産業株式会社 代表取締役
谷口 弘和氏
株式会社木の家専門店 谷口工務店 代表取締役
三浦 和雄氏
株式会社サンヨネ 代表取締役社長
休憩
講演 Ⅳ
「楽しくなければ、仕事じゃない」
山本 昌作氏
HILLTOP株式会社 代表取締役副社長
講演 Ⅴ
「正しい道理の「富」でなければ企業の永続はない」
鮫島 純子氏
エッセイスト
休憩
講演 Ⅵ
「『無言館』のこと -戦没画学生の絵が語るもの-」
窪島 誠一郎氏
無言館 館主
作家
閉会挨拶
終了
会場 | グランドニッコー東京 台場 |
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受講対象 | 経営者・経営幹部・幹部候補 |
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定員 | 1,000名 |
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受講料(税込) |
※お申込み受付後、請求書をお送りいたします。 |
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注意事項 |
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