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新春経営者セミナー2019年

セミナーについて

企業革新~未来へつなぐ~

 2019年は平成最後の年となります。天皇陛下のご退位及び皇太子殿下のご即位と改元、日本初開催となるG20大阪サミット、アジア初となるラグビーワールドカップの開催、そして消費税率の10%への引き上げなど、歴史の節目になる年です。
 現在の日本には様々な課題があります。少子高齢化による労働力人口の減少や、「働き方改革」による生産性の向上といった、多くの中小企業が緊急に取り組まなければならない課題です。オリンピック開催国のGDP成長率は、前年がピークとなり開催年以降は下がるというデータもありますので、油断は禁物です。
 どんな環境が待ち受けていようと、私たちは企業を永続させなければなりません。企業を未来へつなぐ必要があるのです。今、必要とされているのは、可能思考能力と企業革新です。確固たる志を持ち、自社の強みを磨いて企業を革新すれば必ず道は拓けます。
 今回の新春経営者セミナーには、企業を革新することで自社にしかできない経営を創造している方々を講師にお招きしています。自分自身を革新することができれば、おのずと企業を革新することができます。今回の講演をきっかけに、歴史の節目となる2019年を輝かしい革新の年としていただきたく思います。

日創研グループ 代表 田舞 徳太郎
(株)日本創造教育研究所 代表取締役社長 松原 誠

セミナー内容

2019年への視座~変わる世界の構造と日本の進路~

経営に立ち向かうときの基本は的確な時代認識!!
変わりゆく世界と多くの課題を目の前にした日本において、我々はどう進むべきなのか。
時代を読み解くリーダーが語る、あるべき姿とは。

プロフィール

1947年北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後、三井物産入社。米国三井物産ワシントン事務所所長、三井物産常務執行役員、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授等を歴任し、現在、文部科学省グローバル人材育成推進事業プログラム委員会委員、同省大学の国際化のためのネットワーク形成推進事業プログラム委員会委員、経済産業省 資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会基本政策分科会委員、国土交通省 スーパー・メガリージョン構想検討会委員。1994年石橋湛山賞受賞。2010年4月早稲田大学名誉博士学位。2018年~ 厚生労働省 2023年技能五輪国際大会招致委員会委員

近著に、『ジェントロジー宣言「 知の再武装」で100歳人生を生き抜く』(NHK出版新書)、『ひとはなぜ戦争をするのか 脳力のレッスンⅤ』(岩波書店)『ユニオンジャックの矢 英国のネットワーク戦略』(NHK出版)、『シルバー・デモクラシー 戦後世代の覚悟と責任』(岩波新書)。その他の主な著書は、『中東・エネルギー・地政学 ―全体知への体験的接近』(東洋経済新報社)、『新・観光立国論 ―モノづくり国家を超えて』(NHK出版)、他多数。

主な著書

 10年前のリーマン・ショック以降、世界的に金融緩和を続けたことで、今や世界の金融資産総額はGDPの約4倍にまで膨らんだ。これはリーマン・ショック前と同水準であり、再び金融ショックが起きる可能性もあると寺島氏は警鐘を鳴らす。
 米国株が上昇した理由の一つには、トランプ政権の経済政策が、金融規制改革法の見直しなど、ウォール街が拍手を送るような政策をとっていることがある。保護主義政策を貫き、中国との貿易摩擦もエスカレートしている。
 IoT、AIという言葉に象徴されるデジタル・エコノミーが世界経済の潮流だが、その実体は、「FAGA+M」と呼ばれるフェイスブック、アップル、グーグル、アマゾン、マイクロソフトのITビッグ5が握っている。5社の株式時価総額は約3.4兆ドル(約360兆円)もあり、日本トップのトヨタ自動車の約24兆円と比しても桁が違う。
 日本の株価は米国の株価上昇に引っ張られているという要素に加え、公的資金の投入がなくなれば、間違いなく日経平均は大きく下落する。安倍晋三政権にとっては、株価と内閣支持率が連動している状況のため、公的資金の投入をやめられない。国内では、中間層が没落し、貧困化が進み、ますます内向きになっている。異次元の高齢化社会が進み、老人による老人のための政治となりつつある。危うい構造の中で、ピンが一つでも外れれば、株高が一気に崩れ、日本発で世界金融危機が起こる可能性もある。
 寺島氏はデータというエビデンスを突きつけて、我々が目をそらしてきた実態を見るよう迫ってくる。世界の構造が変化する中、日本はどう進むべきなのか、寺島氏の話から、経営者としての視界と構想力を広げ、未来のために革新しよう。

2019年への視座~変わる世界の構造と日本の進路~

「農業って楽しい!」すべてはここから始まった。
植物が大好きだった少年の想いが、自然と人間を繋ぐ懸け橋となった。
アグリ・ベンチャーの先駆者が農業で世界を変える。

プロフィール

1982年福井県生まれ、2006年京都大学農学部資源生物科学科卒業。大学を卒業後、1年間の社会人経験を経て、幼少期に福井で見た休耕地をなんとかしたいという思いから「自産自消」の理念を掲げて株式会社マイファームを設立。その後、体験農園、農業学校、流通販売、農家レストラン、農産物生産など、独自の観点から農業の多面性を活かした種々の事業を立ち上げる。2010年、戦後最年少で農林水産省政策審議委員に就任。2014年、内閣府国家戦略特区農業特区委員就任。2016年、総務省「ふるさとづくり大賞」優秀賞受賞。将来の夢は世界中の人が農業(土に触っていること)をしている社会を創ること。

 2011(平成23)年3月11日、東日本大震災が日本を襲った。津波で多くの農地が塩害にさらされ、克服まで3年かかると言われていた。ところが、その土壌改良を短期間で成し遂げた会社がある。株式会社マイファームだ。その技術力は大きく報じられた。
 マイファームは2007(平成19)年に設立された。立ち上げたのは当時25歳の西辻氏。大学在学中に構想を思いついたという。農作物の研究の目標は世界の食糧問題に寄与することであるという教授の論文に衝撃を受けたのだ。そこに、福井県で暮らしていた幼少期の想いが重なった。当時、母親と家庭菜園をしていた西辻氏は、休耕地を見て「野菜を育てるのはこんなに楽しいのに、なぜ何も植えていないんだろう。すごい作物を開発して、空いている畑で育てたい」という想いを抱いた。その原体験が、革新的な事業を生み出すきっかけになったのである。
 昨今、農業の環境は厳しさを増し、東京都の2倍近い約40万ヘクタールの休耕地が国土を蝕み、問題視されている。西辻氏は、この課題を解決するためには、野菜を創る人を増やす必要があると考えた。そして、農業への入り口となる楽しみを得る体験農園、農業を仕事にしようとする人のための大学校、生産者が楽しいと思える流通販売など多角的に事業展開し、そのネットワークは今や全国に広がっている。
 ここにくるまでには、多くの壁があった。経営の知識もなく、農業にコネのない西辻氏を応援する者はいなかった。自分で起こした会社の代表者を退いたこともある。それでも、困難を乗り越える度に、応援してくれる人が増えていき、今では農業に革新を起こすほどになっている。

よみがえる飛驒の匠

業績悪化の一途をたどっていた家具メーカーが息を吹き返す!!
抜本的な改革と柔軟な発想で時代の流れを引き寄せたきっかけは、
地元住民の誇りを絶やしてはならないという熱い想いだった。

プロフィール

 飛驒産業株式会社 代表取締役社長/一般社団法人 本家具産業振興会副理事長
1943年 岐阜県高山市生まれ。1968年 立命館大学経営学部卒。
 (株)富士屋代表取締役社長、(株)バロー代表取締役副社長などを歴任。2000年より現職。家具作りに節の活用を取り入れ、さらに国産の杉を使用するなど、常識にとらわれない改革で倒産寸前だった会社を立ち直らせた。2014年には「飛驒職人学舎」を設立。独自の教育システムで若き職人を育てている。

主な著書

 1920(大正9)年創業の飛驒産業は、飛驒の匠の技術を活かし、地元のブナを加工して地域の殖産を図ろうという人々が共同出資して起こした会社で、当時としては画期的なベンチャービジネスとして立ち上がった。以来、高い技術と品質、デザイン性、機能性を兼ね備えた家具メーカーとして第一線を走っていた。しかし、2000(平成12)年、円高やバブル崩壊、さらにはライフスタイルの変化といった影響を受け、家具市場は縮小。また安価な海外製品との競争もあり、30億円にも及ぶ負債を抱えることになったのである。
 そんな中、社長に就任した岡田氏は、財務面と流通構造を見直し、抜本的な改革を行うことにした。当然反発はあったが、岡田氏は自社製品の力を信じていた。先人たちや地元住民の誇りを大切にし、丁寧なものづくりを継続するため、安易な価格競争に踏み込まなかったのである。交渉は厳しいものだったが、理解してくれた小売業者の「それでも飛驒産業の製品を扱いたい」という声がそれを証明した。
 さらに手を緩めることなく改革を続け、従来は廃棄されていた木の節を使った「森のことば」シリーズや、家具には不向きとされていた国産杉を圧縮加工して使用した「HIDA」シリーズなど、業界の常識にとらわれない柔軟な発想で新商品を生み出していった。こうした改革の結果、社長就任からの14年間でそれまでの2倍となる年間売上50億円を達成したのである。
 未曽有の危機からV字回復を果たした企業革新の道のりに迫る。

無印良品の経営改革とグローバル展開

38億円の赤字に陥った良品計画をわずか2年でV字回復へ!!
株価が大暴落した企業に必要だったのは、これまでの企業風土からの決別。
やり切る「仕組み」づくりがブランドの力を強くした。

プロフィール

1968年3月
静岡県立韮山高等学校 卒業
1973年3月
東京教育大学(現 筑波大学)体育学部卒業
6月
株式会社西友ストアー(現 西友)入社
1991年3月
株式会社 良品計画 出向
1992年6月
株式会社 良品計画 入社
1993年5月
株式会社 良品計画 取締役
1997年5月
株式会社 良品計画 常務取締役
1999年3月
株式会社 良品計画 専務取締役
5月
株式会社アール・ケイ・トラック代表取締役社長
2000年5月
ムジ・ネット株式会社 代表取締役社長
2001年1月
株式会社 良品計画 代表取締役社長
4月
ムジ・ネット株式会社取締役
5月
株式会社アール・ケイ・トラック取締役
2002年2月
株式会社 良品計画 代表取締役社長(兼)執行役員
2004年6月
株式会社 良品計画 代表取締役社長(兼)執行役員(兼)情報システム担当 管掌
2006年2月
株式会社 良品計画 代表取締役社長(兼)執行役員
2008年2月
株式会社 良品計画 代表取締役会長(兼)執行役員 
2009年5月
ムジ・ネット株式会社 (現 株式会社MUJI HOUSE)代表取締役社長
2010年10月
株式会社T&T(現 株式会社松井オフィス) 代表取締役社長(現任)
2015年5月
株式会社 良品計画 名誉顧問

主な著書

 株式会社良品計画は、西友のプライベートブランドだった無印良品の事業部が1989(平成元)年に独立した子会社である。松井氏は、西友に入社して18年、41歳の時に事実上の左遷で良品計画への出向を命じられた。だが松井氏はそこで腐ることなく、目の前の仕事に全力を注いだのである。まだ知名度も実力もなかった良品計画の中で、現場を動かし、協力会社を動かす実行力を培った。逆境を前向きに捉えることで人生を大きく変えるきっかけを得たのである。
 そして2001(平成13)年、それまで拡大一途だった良品計画の業績が急落し、38億円の赤字に陥る最悪のタイミングで、松井氏は社長に就任。それまでの企業風土を改革し、商品開発・販売・経営・人材育成・システムと全ての領域にわたり、見える化・標準化・仕組み化を進めたのだ。その結果、改革を始めてからわずか2年でV字回復を成し遂げた。そして社長就任より4年後には、当時の過去最高益を達成するのである。現在、良品計画は、アイテムが衣服・雑貨、生活雑貨など合わせて約7,000品目。海外でも「MUJI」のブランドで展開し、国内外で928店舗まで拡大。グループの売上高が3,000億円の大台を超えている。
 松井氏はどんな厳しい状況に置かれようとも、自分の姿勢を変えることでプラスにしてきた。そして「仕組み」づくりによって仕事のやり方を抜本的に改革していく。多くの企業が「仕組み」づくりに悩んでいる昨今、松井氏の話は貴重な機会となることだろう。

WASHハウスのコインランドリー事業とビジネスモデル、その革新性

地元九州を中心に全国500店舗以上のコインランドリーを展開するWASHハウス。
従来のイメージを一新し、コインランドリー運営業として世界で初めて上場を果たす。
WASHハウスが起こしたイノベーションに迫りたい。

プロフィール

 1965年宮崎県宮崎市生まれ。大学卒業後、証券会社へ就職。大手外食企業を経て、30歳で宮崎へ帰郷し不動産会社へ転職。2001年11月に株式会社KDM(現WASHハウス株式会社)を創業。2016年11月に東証マザーズ、福証Q-Boardに上場。「グローバルスタンダードの創造」を掲げ、更なる業務拡大を目指している。

関連書籍

 WASHハウスは宮崎県に本社を置き、地元九州を中心に関東、東海、関西、中四国などでコインランドリー事業を展開している。店舗数は過去5年間で300店以上増加し、急成長に伴い2016年11月には東証マザーズ、福証Q-Boardに上場も果たした。もちろん、コインランドリー業界では全国初の上場である。
 2003(平成15)年の創業当時、コインランドリーの利用率はわずか3%程度。この利用率を伸ばすことができれば、人口減少に直面する日本においても十分な伸びしろがあると、児玉氏はビジネスの成長性に注目した。実際、現在九州での利用率は40%強に達している。一方、東京ではまだ利用率が8~10%程度であり、今後の成長が期待できる。
 利用率を伸ばすための施策は、明るく、清潔感のある店舗設計にとどまらない。遠隔操作システムを含めた全店舗一括管理運営方式を採用し、全店統一のマーケティング戦略を実施、サービスのクオリティーを統一化している点も大きな特徴だ。24時間365日受付のコールセンターを自社内に抱え、店舗でトラブルがあれば遠隔で即時に対応できる体制を完備している。
 整然として明るく清潔感のある店内は、暗い、怖い、汚いという従来のコインランドリーのイメージを一新し、女性でも安心して利用ができる雰囲気だ。今後、女性の社会進出が増えるにつれ、需要はさらに高まると見込まれる。世界で唯一のコインランドリー運営の上場企業は、海外進出を視野に入れ、この分野で世界の基準を作るべく躍進している。児玉氏の話から未来へのヒントを掴みたい。

経営はおやじ、そして公の心~今こそ、創業の精神に戻ろう~

パナソニック株式会社はついに創業100周年を迎えた。
創業者・松下幸之助から人格と実力を認められた4代目社長が乗り越えた数々の苦難。
そしてそこから生まれた偉大な成果。経営者に伝えたいトップとしてのあるべき姿とは!!

プロフィール

1928年、大阪生まれ。48年神戸工業専門学校(現神戸大学工学部)精密機械科卒業。敷島紡績(現シキボウ)、東洋金網(現トーアミ)を経て、56年松下電器産業(現パナソニック)入社。72年ビデオ事業部長。79年取締役に就任後、常務、専務、副社長を経て、86年第4代社長に就任。93年相談役、2003年特別顧問に就任し、2018年退任。また、NPO大阪府日中友好協会会長、一般社団法人日中経済貿易センター特別顧問などを歴任。

関連書籍

『A Better Life, A Better World(より良いくらし、より良い世界)』
 1918年(大正7)年に松下電器器具製作所として創業した現・パナソニック株式会社が掲げるこの想いは、創業者・松下幸之助の夢であった。そして創業から100年、歴代の社長たちはこの想いを繋いできた。4代目社長を務めた谷井昭雄氏もその一人である。
 谷井氏が初めて幸之助翁に声をかけられたのは入社5年目33歳の頃だった。テープレコーダー事業部の技術者として部長に同行して、開発中のテープレコーダーの説明に行った時だった。このとき幸之助翁は、ある想いを谷井氏に説いた。
 世界に通用する日本製品にするためには、「品質管理」のみならず「品質管理」を行う『人の管理』がもっと大切。松下電器は『人』をつくる会社なのだ。その一言が、後の松下電器の社長を生むことになった。
 次に幸之助翁から任されたのはビデオ事業の責任者だった。この時すでにSONYが、ビデオ規格の一つである「ベータマックス」の開発に乗り出しており、松下電器はかなり出遅れた状態でのスタートだった。SONYは「ベータ方式」、松下電器は「VHS方式」をそれぞれ推し進め、2社の激しい開発競争が行われた。高画質・高性能のベータマックスに比べ、使いやすさとバランスで民生用に特化したVHSが功を奏し、徐々にシェアを広げていった。それにより、パナソニックのVHSは売り上げ10兆円、純利益1兆円を稼ぎ出した。
 「公の心」と「素直な心」。決めるべき時は決める決断力。経営の神様と呼ばれる松下幸之助翁の生き様を肌で感じ、直接薫陶を受けてきた。この極めて貴重な体験を自身の言葉として伝えられる人物は少ない。今こそ、経営の本質、経営者のあるべき姿を学びたい。

逆境をも乗り越える 一貫経営

老舗寿司店の若き4代目は、暖簾だけでなく先代たちの想いも
共に引き継いだ。全財産を売却するという経営危機から見事に
V字回復をした成功要因と、新たな挑戦とは。

プロフィール

昭和47年
東京築地生まれ。
平成7年
学習院大学法学部政治学科卒業
平成8年
米コロラド州University of Denver留学
平成11年
University of Denver,Hotel,Restaurant and Tourism Management学位取得。
平成11年
株式会社玉寿司 入社。
平成17年
代表取締役社長 就任。
平成28年
グレートカンパニーアワード2016受賞。

関連書籍

 玉寿司は、関東大震災の半年後に創業。第二次世界大戦や幾多の試練を乗り越え、まもなく100年を迎える。何度となく直面した大きなピンチも、初代から引き継がれている「焼野原から立ち上がってきた精神」を持って乗り越えてきた。
 中野里氏は大学卒業後、先進の食ビジネスを学ぶため米国に留学。しかし、帰国後は昔気質の職人たちと、厳しい財務状況が立ちはだかった。全財産を売却したタイミングで4代目に就任するという過酷な船出となったのである。金融機関と折衝を重ねる一方で、200人の社員と面談をし、信頼関係を構築していった。同時に、「仕入れの構造改革」「社員の意識改革」「既存店のリニューアル」を進め、経営危機を脱した。
 今後も経営理念を軸にした「一貫経営」と、暖簾の永続のための企業革新は続いていくだろう。

逆境こそチャンス 試練は天命と信じて

400年近くもの歴史を持つ老舗菓子司森八に
突然発覚した60億円もの莫大な負債と社内の腐敗。
女将は経営革新の先陣に立ち、いかにして逆境を乗り越えたのか。

プロフィール

岩手県一の関市生まれ。東京下町育ち。夫の中宮嘉裕(現社長・18代当主)と結婚し、金沢へ。同社東京店勤務等を経るが、バブル期のつまづきから平成7年に和議を申請。同時に取締役となり、社長である夫とともに再建への道を歩む。平成12年、再建の過程がドキュメント番組としてNHKより全国に放送され、大反響を呼ぶ。平成16年3月には和議を終結し、再建を完了した。現在は「世の中へのご恩返し」を社是として、日々、陣頭指揮にあたる。理想の企業像は、「小さくても、永遠に生き続ける企業」。二女の母でもある。

主な著書

 1995(平成7)年5月末のある日、老舗菓子司森八に激震が走った。経理事故をきっかけに年商の2倍強、60億円もの負債が表面化したのだ。経理を古参社員に任せきりにしていたことで債務が膨れ上がり、自転車操業になっていたのである。やむ無く和議を申請し、経営権を社長と取締役である女将に取り戻して再建を始めた。
 主婦でもある女将は、とにかく家計のやりくりと同じことをしようと意識した。決められたお金で、いかに生活費を削り、いかに貯蓄し、材料の質を落とすことなくどれだけ美味しいものをつくるのか。小さな改善の積み重ねで社員にコスト意識も根付き、和議の再建計画より2年も前倒しする形で債務返済を完了したのである。
 中宮氏の話からは、どんな状況においても可能性は必ずあることを学ぶことができる。400年の歴史ある森八は、地元金沢の信頼と愛着を一身に受け、未来へとその歴史を繋げようとしている。

お客さま密着! で、地域に貢献する十勝バスの経営~40年ぶりの利用者増加の実例~

地域密着の経営戦略で、倒産寸前だった地方の路線バス会社が息を吹き返す!
40億の負債を増収へと導いた「黄色いバスの奇跡」は、
社長の本気の想いが通じたときに起こった。

プロフィール

1963年 帯広市生まれ。
函館ラ・サール高校、小樽商科大学商学部卒業。
国土計画(現西武ホールディングス)に勤務した後、
1998年 十勝バス株式会社 入社。
2003年より現職。
十勝バス株式会社 代表取締役社長
テービーオイル株式会社 代表取締役社長
十勝地区バス協会会長
一般社団法人北海道バス協会理事
帯広商工会議所副会頭
道東道とかち連携協議会会長

関連書籍

 入社後、人員削減や経営合理化の限界を感じ「乗客を増やす」という基本に戻り、抜本的な解決に動き出した。バス業界で初めて「営業」を強化し、顧客が何を求めているか、それにどう応えるかを模索した。
 また、他の経営者から「自分から社員を愛さなければ、社員は決して心を開いてくれない」という助言を受け、徹底的に社員を大切にすることを誓い、今も社員とのコミュニケーションの機会を大切にしている。さらには、他業種・他業者との連携により、競争ではなく「共創」を掲げ、地域活性化にも力を注いでいる。
 全国的に地方バスが厳しい経営を強いられている中、「7年連続増収」という、地方バス会社としては前例のない快挙を成し遂げ、書籍が出版されたり、ミュージカルが上演されるなど、まさに奇跡のバス会社として、全国的にも注目を浴びている。

無計画の計画 ~イレギュラーの人生は楽しい~

「老人福祉」から「嫁福祉」。伝え方ひとつで利用者が激増。
介護者、利用者、事業者の三位一体の中から感動を生みだす、
介護サービスのパイオニアの未来とは。

プロフィール

1946年、福島県生まれ
1983年、有限会社東海入浴サービス
1990年、東海入浴サービスを福祉の里に社名変更
1994年、全国入浴福祉事業協議会副会長に就任
2004年、全国介護事業者協議会(民介協)理事に就任
介護業界の黎明期から現在までを知る訪問入浴の第一人者

主な著書

 兄の経営する運送会社を手伝っていた1973(昭和48)年12月。会社がオイルショックの煽りを受けて倒産した。夜逃げ同然に神奈川から西へ向かい、名古屋で再起を誓った。27歳の時のことだった。
 多くの人に迷惑をかけた罪滅ぼしを考えながら日々を過ごし、誓いの日から10年後、訪問入浴サービスの会社を立ち上げた。自治体からの委託を得るために出来高契約を提案し、先行企業の独占に風穴を開けた。しかし、介護は嫁の務めという風潮はまだ強く、利用者は中々増えなかったのである。そこで矢吹氏は伝え方を変えた。このサービスは「嫁福祉」なのだと。介護者を支え、利用者にぬくもりを持った介護をする姿勢は高い評価を得て、利用者も激増した。今も矢吹氏の「介護者を支える」理念は、次の世代へと受け継がれている。

セミナーカリキュラム

1日目 17日(木)

12:30~12:40

開会挨拶

12:40~14:10

「2019年への視座 ~変わる世界の構造と日本の進路~」
寺島 実郎氏
一般財団法人日本総合研究所 会長
多摩大学 学長

14:30~16:00

「自産自消ができる社会のその先へ」
西辻 一真氏
株式会社マイファーム 代表取締役CEO

16:20~17:50

「よみがえる飛驒の匠」
岡田 贊三氏
飛驒産業株式会社 代表取締役社長

18:00~19:30

第7回「心に残る、ありがとう!」体験談 贈賞式

19:30~21:00

新春記念パーティー

2日目 18日(金)

8:30~10:10

分科会
「逆境をも乗り越える 一貫経営」
中野里 陽平氏
株式会社玉寿司 代表取締役社長

「逆境こそチャンス 試練は天命と信じて」
中宮 紀伊子氏
株式会社森八 取締役女将

「お客さま密着!で、地域に貢献する十勝バスの経営
〜40年ぶりの利用者増加の実例〜」

野村 文吾氏
十勝バス株式会社 代表取締役社長

「無計画の計画〜イレギュラーの人生は楽しい〜」
矢吹 孝男氏
株式会社福祉の里 代表取締役会長

10:30~12:00

「無印良品の経営改革とグローバル展開」
松井 忠三氏
株式会社良品計画 前会長
株式会社松井オフィス 代表取締役社長

13:00~14:30

「WASHハウスのコインランドリー事業とビジネスモデル、その革新性」
児玉 康孝氏
WASHハウス株式会社 代表取締役社長

14:50~16:20

「経営はおやじ、そして公の心
~今こそ、創業の精神に戻ろう~」

谷井 昭雄氏
パナソニック株式会社 第4代社長

16:20~16:30

閉会挨拶

参加要領

会場

グランドニッコー東京 台場
東京都港区台場2-6-1 TEL:03-5500-6711

受講対象

経営者・経営幹部・幹部候補

定員

1,000名

受講料(税込)
オーナー会員 一般
108,000円 118,800円

※受講料の表記に含まれている消費税は8%で計算しています。
 消費税率が変更された場合、「研修開始日」を基準として税込価格は変更になります。

受講料の振込がお済みでない方は、受講前にお手続きをお願いします。
※振込口座は、お申込受付後にお送りする請求書をご確認ください。
※振込手数料は貴社負担にてお願いします。
※2日間のセミナー料と1日分の昼食代・新春記念パーティー費を含みます。
 ご宿泊費、交通費は受講料には含まれていません。

注意事項
  • コンサルティング業関連・セミナー教育業関連等、同業の方のご参加はご遠慮ください。
  • 講師は変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。

過去の新春経営者セミナー

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