12:30~12:40
開会挨拶
06-6388-7741
現在、日本は大きな変革期を迎えています。これまで懸案でしかなかった事柄が、実体経済に影響を与え始めています。たとえば、少子高齢化という事実は、企業の売上減少につながり、人手不足、採用難となって私たちの現実の問題になっています。また、AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)を組み合わせたインダストリー4.0、ウーバーに代表されるシェアリングエコノミーの到来など、技術革新を含めた外部環境も大きく変わっています。
外部環境が大きく変わるということは、経営を革新できる企業しか生き残れない環境になっているということです。限られた人員で知恵を集め、資源を有効に活用し、生産性を向上させるとともに、経営の本質も追求していかなければなりません。
まさに今こそ、「王道の経営」が求められているときであり、それを貫くときであります。自社の価値に気づき、高め、人に光を当てる経営だけが生き残れるのです。
今回の新春経営者セミナーは、王道の経営に徹し、自社の真価を追求し、チャレンジし続けている方々を講師にお招きしています。この大きな変革期こそ、自社が大きく変革する時期です。素晴らしい一年のスタートに相応しい新春経営者セミナーにぜひご参加ください。
日創研グループ 代表 田舞 徳太郎
(株)日本創造教育研究所 代表取締役社長 松原 誠
ご好評のうちに終了いたしました。
1948年長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業後、機械製造メーカーへ就職し海外駐在を経験。1974年に父親が経営する「カメラのたかた」へ入社。1986年に分離独立し、「株式会社たかた」(ジャパネットたかたの前身)を設立。1999年に現社名へ変更。1990年にラジオショッピングを行なったのを機に全国へネットワークを広げ、その後テレビ、紙媒体、インターネットなどでの通販事業を展開する。自らが商品紹介を行ない、独特な語り口で広く知られるようになる。2015年1月に「株式会社ジャパネットたかた」の代表を退任し、同時に「株式会社A and Live」を設立。
サラリーマン経験の後、父親の経営するカメラ店に入社し、1986年に独立。ある時、地元のラジオ局で通販番組に出演したところ、一回で約100万円を売り上げた。この潜在力に目をつけ、全国でのラジオ通販を展開。その後、テレビ、カタログ、チラシ、インターネットでの通販事業へと拡大。自前のテレビスタジオもつくり、自ら毎日スタジオに立った。今、伝えたいことを、今伝えるためのこだわりである。
2004年、利用者の顧客リストが社外へ流出した事件では、自ら営業自粛を決め、お客様の信頼を回復すべく組織の体制を刷新した。49日間の自粛の後、営業を再開し、その後躍進を続けている。
東日本大震災では5億円の義捐金と充電式電池セット1万台、また、震災から5日後に行なったテレビショッピングでの売上を全額寄付した。同社は、先の熊本地震でも髙田氏が特別に出演した日のショッピングの売上全額を義捐金として寄付している。
2013年、髙田氏は「過去最高益が更新できなければ、社長を辞める」と宣言した。「100年続く企業」になるために、社員の危機感を醸成し、成長を促すねらいがあった。社員は動揺したが、本気で動いた。そして目標を達成。苦難を乗り越え、組織が一つの旗のもとに一丸となった。企業は100年、200年と続くことで、適正な利益を出し、税を納めて社会に貢献できる。「100年続く企業」のビジョン実現に向け、後進に会社を託し、自身は2015年に社長を退任。ショッピングの出演からも2016年1月に引退した。今は新たな会社を設立し、地方創生につながる取り組みなどを行なっている。
1939年 愛知県生まれ。
1962年 伊藤忠商事株式会社入社。食料品部門時代に穀物トレーダーとして頭角をあらわす。
1998年 代表取締役に就任。翌年には約4千億円の不良債権処理を断行し、V字回復を達成する。
2004年 会長に就任。
2010年に豊富な中国人脈が注目され、中華人民共和国駐箚特命全権大使に就任。
現在は早稲田大学特命教授、グローバルビジネス学会会長、公益社団法人日中友好協会会長。
日本屈指の巨大総合商社である伊藤忠商事株式会社。丹羽氏が九代目の社長の座についた1998年、バブル時代の拡大戦略の影響によって不良債権が4,000億円にまで膨れ上がっていた。当時、約1,000社の子会社があり、その内の6割が赤字。4割の黒字会社が生み出す利益の全ては赤字会社がのみ込み、毎年数百億円の赤字を出している状況だった。
不採算事業はできるだけ早く清算すべきという考えのもと、不良債権の一括処理を決断した。ただ、株価下落による市場からのプレッシャーを受ける可能性は大いにあった。
経営の危機に血を流す経営改革を断行するには、何の傷も追わず苦境を乗り切ることはできないと、自身の報酬を完全にゼロにした。そして、運転手付き社用車での送迎が当然の立場であるにも関わらず、電車通勤を貫いた。そうした姿勢と経営手腕で社員との信頼関係を築き上げ、翌年には、史上最高の利益をたたき出した。
社員との信頼関係なくして経営改革はできない。経営者に最も重要なことは「社員の信頼」を得られるかどうかである。つまり経営は、経営者と社員との「経営の信用受託」で成り立つ。経営者は社員に信用されるためにも、強い倫理観を持つ必要がある。リーダーの役割とは、人を育てること。リーダーたるものは、まず自分を捨てなければならない。リーダーは組織の代表であり、どんな理由があろうとも、組織を優先させなければならない。リーダーというのは、うそをついてはいけない、逃げてはならない、そして最終責任を取らなくてはならない。
伊藤忠商事の社長にしても、中国大使としても、死んでも良いという覚悟で取り組んできた。だからこそ、リーダーを長く務めることはできない。惜しまれつつも潔く、リーダーは短期間で辞めることが最大の花道と丹羽氏は考えている。
ワタミグループ創業者。「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」という理念のもと外食・介護・宅食・農業・環境等の事業を展開し、「独自の6次産業モデル」を構築。個人として、「医療法人盈進会岸和田盈進会病院」理事長、日本経団連理事、政府教育再生会議委員、神奈川県教育委員会教育委員、日本相撲協会「ガバナンスの整備に関する独立委員会」委員、観光庁アドバイザーを歴任。現在、「学校法人郁文館夢学園」理事長、「公益財団法人School Aid Japan」代表理事としてカンボジア・ネパール・バングラデシュでの学校建設・孤児院運営、「公益財団法人みんなの夢をかなえる会」代表理事として、若者を中心とした夢実現の支援、「公益財団法人Save Earth Foundation」代表理事として、限りある自然資源を有効利用し、持続可能な循環型社会づくりにも携わる。2011年、行政に経営を持ち込むため東京都知事選に立候補、101万票を獲得。同年6月より、岩手県陸前高田市参与(震災復興支援)に就任。2013年、参議院選挙(全国比例区)において、104,176票という貴重な全国の皆様のご支援をいただき当選。「中小・零細・ベンチャー企業の支援と育成」に着眼し、「実体経済の成長」を最優先事項と捉え活動を開始。実名企業小説「青年社長 上・下」「新青年社長 上・下」(高杉良著)の実在モデルでもある
ワタミグループ創業者である渡邉氏が、2013年に参議院選に出馬の際、経営の一線から退いた。その頃からワタミの業績悪化が垣間見えるようになった。2016年3月期の売上高は1,282億円(2015年3月期比17.4%減)、営業損失2.9億円(15年3月期は営業損失20.7億円)、当期純利益は78.1億円(15年3月期は128.5億円の損失)。介護事業の売却益で純利益は3期ぶりに黒字化したが、営業利益は2期連続の赤字となった。窮地から脱してはいるとはいうものの、収益回復の道のりはまだまだ険しい。
そもそも居酒屋チェーンの寿命は5年程度と言われる中、かつての「和民」は非常に強い収益構造で、店舗利益率は20%以上と高く、少々売上が落ちても利益が取れる状態だった。2006年ごろから前年売上を下回る状況が続いていたが、危機と捉えるものはいなかった。次代を担う新業態がうまくいっても、「和民」の方が利益率も利益額も高いため、新業態開発に力を注ぎ切れていなかったことも原因の一つである。
時代は流れ、顧客の思考も欲求も変わった。手を打つタイミングが遅く、介護事業も手放すことになってしまった。介護は単なる事業ではなく、渡邉氏にとってはライフワーク。創業者として断腸の思いであった。
現在、ワタミは血を流しながらも、前に進もうとしている。渡邉氏も、これまで経営者として培った、医療・介護・高齢者・教育・農業・エネルギー・環境・ベンチャー育成・企業の海外展開・開発途上国支援など、日本が直面している多くの課題に真正面から取り組んでいる。
政治とは、「最大多数の国民の幸せのためだけにある」。企業経営では当たり前の、PDCAサイクルを回しコストパフォーマンスを最大化することによって、高齢者が安心して暮らせるよう、日本を再建しなければならないと唱える。一方、世界特に開発途上国の子どもたちの夢を育み、健全な成長を促進し、将来、自身に備わったすばらしい能力に気づき、伸ばし、社会に貢献できる子どもたちを育成することを目標としている。
如何なる困難が待ち受けていようとも、信念をもち、前に向かって進んでいる。
1997年 東京農業大学 農学部農業経済学科卒業
1997年 株式会社巴商会 入社
2003年 和歌山県 新規就農
2006年 エフ・アグリシステムズ株式会社 関西支社設立
関西支社長就任
2007年 農業総合研究所 設立 代表取締役就任
【表彰】
「A-1グランプリ」 特別賞 受賞
和歌山県ソムリエ企業 激励賞 認定企業 受賞
第13回 EY Entrepreneur Of The Year Japan ファイナリスト 受賞
フードアクションニッポンアワード2014 優秀賞 受賞
Japan Venture Awards 2016 経済産業大臣賞 受賞
農業総合研究所のホームページを開くと、真っ先に目に飛び込むのが「農業に情熱を」の大きな文字。従事者の高齢化、就業者の減少、耕作放棄地の増加といった課題を抱える現代では、ミスマッチにも思える「農業」と「情熱」の2つの単語が、及川氏の前では不思議とマッチして見える。
学生時代から農業への危機感を覚え、会社員を6年間経験後、農業界へ転身。3年間、自ら農業で汗水をたらし、その後八百屋で1年働いた。その経験を活かして、2007年に現金50万円を元手に、農業をクリエイティブにグランドデザインする会社「農業総合研究所」を設立。起業後9年で取扱高50億円を達成。多数のメディア出演や講演活動、農林水産省の委員をも務める。2016年6月に、東京証券取引所マザーズ市場へ上場。農業ベンチャー初の上場企業として全国から注目を浴びている。
及川氏の目には、明治維新と同じような大波が、現在の農業界に押し寄せていると映る。この激動の時代をチャンスと捉え、これからも農業に対する情熱を燃やし、生活者に食の豊かさを提供するために邁進し続ける。
1972年東京都生まれ。米国に短期留学後、父が創業した産業廃棄物中間処理業の石坂産業に入社。埼玉県所沢市周辺の農作物がダイオキシンで汚染されているとの報道を機に、「私が会社を変える」と父親に直談判し、2002年社長に就任。
「自然と地域と共生する企業」を目指し、共に育み共に栄える100年先の企業づくりに挑戦。“見せる・見られる”五感経営を実践し、世界中から見学者が訪れる先進的な環境配慮型企業に変革させた。里山保全再生に取組み、JHEP(ハビタット認証制度)最高ランク「AAA」を取得。2013年には経済産業省「おもてなし経営企業50選」に選出。
『先輩ROCKY0U(日テレ)』『夢の扉+(TBS)』『先人たちの底力 知恵泉(NHKEテレ)』『カンブリア宮殿(テレビ東京)』出演ほか、多数のメディアに取り上げられている。日本全国の団体・行政・学校から講師・講演依頼が殺到している。2014年12月ダイヤモンド社「絶対絶命でも世界一愛される会社に変える!」発刊、2016年9月20日経BP社「五感経営~産廃会社の娘、逆転を語る~」発刊。日経Woman of the Year 2016に選ばれている。
石坂産業が地元に愛される会社を目指したきっかけは、1999年に起きた「所沢ダイオキシン問題」。言われなき報道で大打撃を受けた所沢の農家の怒りの矛先が向かったのが、汚染源と言われた周辺の産廃業者であった。住民から反対運動が巻き起こり、石坂産業は存続の危機に陥る。
「私が会社を変える」と父親に直談判し、社長を引き継いで社内改革に乗り出した石坂氏は、当時30歳の女性だった。半年で社員の4割が辞めていく劇的な改革を断行し、地元から嫌われていた会社を、清潔で環境にやさしい日本屈指のリサイクル企業に生まれ変わらせた。廃棄物をリサイクルすることにこだわったビジネスへと転換し、産業廃棄物を95%減量化・リサイクルし、資源に変えている。さらには社員の意識改革も断行した。経済産業省の「おもてなし経営企業選」にも選出される企業へと変貌を遂げた。
1966年 慶應義塾大学医学部卒業
1967年 同大学医学部精神神経科学教室入室
1968年 財団法人井之頭病院入職
1971年 フランス政府給費留学生として2年間渡仏
1979年 同上井之頭病院を退職
1980年 青梅慶友病院を開設し院長に就任
1988年 同病院を医療法人社団慶成会の開設に変更し理事長に就任
2005年 よみうりランド慶友病院を開設
2010年 医療法人社団慶成会 会長に就任
・株式会社資生堂 社外監査役
・公益財団法人医療科学研究所評議員
・日本医療機能評価機構評議員
・ファイザーヘルスリサーチ振興財団 評議員
高齢者専門の慶友病院は、入院希望者が絶えない人気の病院である。
開設のきっかけは、友人の祖母の病院を探すために訪れた老人病院。大塚氏には現代の姥捨て山のように見えた。そうした現状を目の当たりにし、「自分の親を安心して預けられる施設をつくる」ことを決意する。
「病院はサービス業である」という信念のもと、患者さんやそのご家族を「お客様」と位置づけ、満足を高めるための工夫がいろいろな形でちりばめられている。例えば、24時間365日面会は自由、お客様からの要望にはまず「イエス」で受ける、コミュニケーションの労を惜しまない、投書には必ず答えを書き公表する、等である。
また病院でありながら、院内は生活のための場と位置づけ、快適な居住空間、豊かな食生活の実現に力を注ぐ一方で、患者さんが必要とする介護や医療の機能は十分行なえる体制づくりをめざしている。
2005年には遊園地「よみうりランド」の敷地内に第二の病院を開設した。遊園地と老人病院という異色の組み合わせが、医療業界外からも話題を呼んだ。
従来の価値観や業界内の常識に捉われること無く、異業種から学び、ダントツの価値を生みだすことこそ、事業の本質である。「高齢になり、介護や医療を必要とする身になっても、尚、心豊かに暮らせる場をつくる」これぞ新しい価値「豊かな最晩年」の誕生であり、それを進化させることで社会が変わるかもしれない。
1964年 広島県広島市生まれ
1988年 早稲田大学法学部卒業、その後商社へ入社。
1995年 有限会社アイ貸テレビ(現 株式会社アイグラン)入社 取締役就任
1996年 株式会社アイレンタル 代表取締役就任
2009年 社会福祉法人あい福祉会理事長就任
2012年 第20回 中国地域ニュービジネス大賞受賞
第7回ニッポン新事業創出大賞表彰制度
企業部門最優秀賞「経済産業大臣賞」受賞
2016年6月 第1回日本サービス大賞 優秀賞(SPRING賞) 受賞
広島県子ども・子育て審議会委員
内定分も含み、 全国に認可保育園53園、公設民営型暫定保育室2園、県委託託児事業5か所、放課後児童クラブ5か所、指定管理1か所、事業所内保育園234園、計300園を運営中。(平成28年6月現在)
「アイグラン」の「グラン」は、「母なる大地」を意味する。皆が集い、支え合い、話し合いながら、共に成長する場となるようにとの思いを込めた社名である。その実現に向かって、従来の保育所の枠を越えたサービスに挑戦。保育は次世代の日本を担う子どもたちに関わる大事な事業であるとの考えから、保育事業を福祉だけでなく、よい意味でのサービス業の精神を加えて捉え、活躍の場を大きく広げている。
“相手の立場に立った保育の実施”を徹底して、日本で一番の保育会社になることを固く決意。人口減少や待機児童問題等、数々の社会的課題に行動で立ち向かい、未来と社会に貢献する企業の実現に向けた、熱い想いを語る。
1978年 国立阿南高専機械工学科卒業。
1980年 渡米(ロサンゼルス在住)。
1981年 帰国後、徳島にてタウン情報誌「あわわ」を創刊。
1984年 株式会社あわわ設立。
1988年 株式会社アーサ設立。
1988年 タウン情報誌「ASA」創刊。
2000年 株式会社カンマン設立。
2002年 050(ゼロゴゼロ)創刊。
2003年 M&Aにて会社を手放す。
2003年 個人事務所「sumitomore(スミトモア)」設立。
2004年 初の単行本「徳島タウン誌風雲録・あわわのあはは」を、西日本出版社から全国発売。
2005年 朝日放送の2時間生ワイド番組「ムーブ」で、約半年間コメンテーターを務める。
2012年 移動スーパー「株式会社とくし丸」設立。
2012年 26年後の福島・東北・日本を見るために、ウクライナ・チェルノブイリを視察。
2013年 「徳島ニュービジネス協議会」主催の「ニュービジネス支援賞」で、優秀賞を受賞。
2016年 「第1回日本サービス大賞」で、「農林水産大臣賞」を受賞。
規模が大きいほど、品揃えが豊富で魅力が増すと思われがちなスーパーマーケット。しかし、高齢者にとってはこの魅力が仇となり、選ぶ苦労、運ぶ苦労を強いられる。いわば買い物弱者とも呼べる高齢者に救いの手を差しのべたのが、日本初の移動スーパー「とくし丸」である。「とくし丸」を走らせ、販売員役もこなすのは販売パートナーと呼ばれる個人事業主。商品は提携スーパーに供給してもらい、契約者には週2回巡回訪問を行なう。買い物だけでなく、地域に密着したきめ細やかな訪問販売スタイルから、高齢者の「コンシェルジュ」「見守り」としても機能し、高齢化問題を抱える現代社会に貢献している。すでに徳島県の人口比で約80%をカバーする。高齢者に寄り添った究極の「御用聞き」として、全国で急拡大している。
1953年 東京生まれ
1976年 家業の刺繍店に入る。
1980年 ミノダネーム店から変更。株式会社ミノダ設立
2004年 株式会社ミノダ 代表取締役に就任
2012年 東京都中小企業振興公社公募『平成24年度新製品・新技術開発助成事業』『刺繍ウェブシステム』の開発が採択され助成を受ける
2013年 東京商工会議所『第11回勇気ある経営大賞』優秀賞受賞
2014年 公益財団法人まちみらい千代田 産業まちづくりグループ『千代田ビジネス大賞』千代田区長賞受賞
2014年 千葉県木更津市に刺繍機を内製化したファクトリーを設立
2015年 経済産業省『攻めのIT経営中小企業百選』選定
1964年両親が繊維の街であった馬喰町に、刺繍加工店を開業した。高校2年の時に父親が他界。以降、母親が家業を支えた。母親からの希望で、氏も入店。創業以来30年以上続けてきた、下請けとしての刺繍加工は、仕事が増えても利益の上がらない典型的な労働集約型事業であった。この状況を脱すべく、主力だったユニフォーム刺繍に加え、オンラインショップの導入や自社商品の開発に力を入れた。高いクオリティにより、ディズニー、サンリオといった名だたる企業との契約を交わし、キャラクタービジネスへの参入に成功。
現在では、数千万円の費用をかけて、新たな「刺繍ウェブシステム」の開発に力を入れている。新しい分野に常に大胆な挑戦をしかけ、業界に革命を巻き起こしている。
1964年 慶応義塾大学経済学部卒業
繊維・化学品の専門商社に勤務後、不動産事業に従事。
シングルマンションの管理・運営などを手がける。
1989年 株式会社スーパーホテル設立 会長に就任(現在に至る)
1995年 株式会社スーパー・コート
(老人ホーム・シングルマンションの運営・管理)設立、会長に就任(現在に至る)
1996年 社会福祉法人聖綾福祉会設立、理事長に就任(現在に至る)
【功績】
2009年・15年 日本経営品質賞を受賞
2009年・10年・14年 JCSI(日本版顧客満足度指数 ホテル業界 No.1
2009年・11年・14年・15年 J.D.パワー アジア・パシフィック ホテル宿泊客満足度No.1(一泊9,000円未満部門)
2010年度 地球温暖化防止活動環境大臣表彰受賞
2013年度 おもてなし経営企業選に選出
2016年度 第1回日本サービス大賞 優秀賞
【著書】
『1泊4980円のスーパーホテルがなぜ「顧客満足度」日本一になれたのか?』(アスコム出版)
『5つ星のおもてなしを1泊5120円で実現するスーパーホテルの「仕組み経営」』(かんき出版)共著 その他
様々な顧客層に対し、高い価値を提供するビジネスホテル。“Lohas(地球環境と人の健康を意識した行動様式)”という新しい価値観を前面に打ち出し、宿泊客に感動のサービスを与えている。
安眠のため、枕は8種類、ベッドの硬さは2種類から選ぶことができる。また、室温や照明、防音対策にもこだわるなど、設備投資にも積極的である。
チェックイン時に自動チェックイン機で前払い精算し、暗証番号で客室に入る「ノーキー・ノーチェックアウトシステム」など、顧客満足につながる社員からの提案を続々と採用。その一方で、顧客に価値を与えないと考えるものを次々と廃止する動きにも余念がない。ICT(情報通信技術)を駆使して利便性と生産性を高め、余力を顧客へのもてなしにあてるビジネスモデルを構築し、数々の業界No.1を獲得している。
開会挨拶
講演I
髙田 明氏 株式会社A and Live 代表取締役(株式会社ジャパネットたかた 創業者)
「夢持ち続け日々精進 ~今を生きる 人生はシンプル~」
講演II
丹羽 宇一郎氏 伊藤忠商事株式会社 前取締役会長
「企業経営の真髄に挑み その王道を進め」
講演III
「信を貫く ~自ら反みて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん~」
第6回「心に残る、ありがとう!」体験談 贈賞式
新春記念パーティー
分科会
重道 泰造氏 株式会社アイグラン 代表取締役
「行動こそ真実」
住友 達也氏 株式会社とくし丸 代表取締役社長
「移動スーパーとくし丸が目指すビジネスの形」
箕田 順一氏 株式会社ミノダ 代表取締役
「中小企業のIT戦略と新商品の生み出し方」
山本 梁介氏 株式会社スーパーホテル 会長
「1円当たりの顧客満足日本一の提供を目指して ~顧客満足と従業員満足を両立させる経営~」
講演IV
及川 智正氏 株式会社農業総合研究所 代表取締役社長
「ゼロからの起業~そして上場まで~」
講演V
石坂 典子氏 石坂産業株式会社 代表取締役
「自然と地域と技術が共生する、見せる五感経営 ~100年先の企業づくり~」
講演VI
大塚 宣夫氏 医療法人社団慶成会(青梅慶友病院・よみうりランド慶友病院) 会長
「豊かな最晩年をつくる ~究極のサービス業~」
閉会挨拶
会場 | グランドニッコー東京 台場(旧ホテル グランパシフィック LE DAIBA) |
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受講対象 | 経営者・経営幹部・幹部候補 |
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定員 | 1,000名 |
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受講料(税込) |
※受講料の表記に含まれている消費税は8%で計算しています。 ※ 2日間のセミナー料と1日分の昼食代・新春記念パーティー費を含みます。 |
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宿泊 | ご宿泊は各自でお手配ください。 |
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注意事項 |
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